2026年1月6日火曜日
川口初ソロのご報告
2025年12月19日金曜日
こんにちは。
大工大航空部の新見です。
もう見飽きた名前かもしれませんし、相変わらずユーモアに富んだ文章でもなければ、話題はDiscusばかり。
「またお前か…」と思われても、それはもう仕様ということでご了承ください。
さて今回は、11月末に行われた“大工・岐大 木曽川合宿”の様子をお届けします。
11月22日 合宿初日
合宿初日といえば、
「なかなか発数が回らない」
「成果が出にくい」
というのが定番ですが……今回は違いました。
まずは朗報から。
3年・立脇、ASK23へ移行!
3年の立脇がASK23への移行を果たしました。
同期として、これは素直に嬉しい出来事です。
僕が練許生の頃は、ソロで滞空なんて夢のまた夢でしたが、彼は違います。
沈下の少ない場所を選び、バリオが少しでも良くなれば速度やバンクを細かく調整し、着実に時間を稼いでいく。
「本当にもってるな」と横で思っていました。
“浮かない”と言われる木曽川
「木曽川は浮かない」
これはもう定説レベルで言われています。
実際、私自身もシーブリーズで少し滞空したことがある程度で、
「本当にここでサーマルソアリングできるの?」
と、ずっと半信半疑でした。
しかし前日、mtr先輩がふと一言。
「明日は浮くかもしれないな」
……その言葉を、当日になって思い出します。
朝からDiscusにたくさん乗せていただきましたが、地上の空気はまだ冷たく、サーマルは小さく散発的。
11時ごろになると空気が動き出し、ポコポコとした反応が出始めます。
教官たちも
「もう少し温まれば…」
という雰囲気でした。
まさかの優先搭乗
Discusがラインナップされ、搭乗者はmtrさん。
朝から4発も飛んでいた私は、完全に“いってらっしゃい係”のつもりで横に立っていました。
すると、No.1にラインナップされた151に搭乗していたwki教官が、キャノピー越しに一言。
「新見、飛んで来い」
……え?
パラシュートを背負って準備していた先輩を差し置いて、
後輩の私がDiscus、mtrさんが23へスライド。
ありがたすぎて、若干申し訳ない気持ちを抱えつつ発航します。
上空に行くと、先に出ていた557と151がすでに滞空中。
無線が飛び交います。
「大工Discus 557 こちら460 バリオ0」
「大工Discus 151 RW南側上空 高度720 −2」
「オールステーション 木曽川ピスト 特別訓練空域解放」
上も下も、完全に“新見サポート体制”。
東海大橋をトリガーに、北へ伸ばしてサーマル探しに出ます。
サーマル、来た。
予想的中。
0〜+1.5m/sのサーマルを、30度バンクで必死に探ります。
5分前に離陸した151が「720m」と言っていましたが、
「チートでしょ」
と心の中でツッコミ。
150mほど高度を稼いだところで空域が気になり、早めにブレイク。
再度北へ。
すると沈下に叩かれます。
「まずい、増速だ」
……と思った瞬間、横ずれに気づき修正。
+2〜3m/s。
「はーい、こんにちは」
オーディオバリオが
「プー、ピーピーピー」
と騒ぎ出し、心拍数も一緒に上昇。
先ほどとは別物の、明らかに強いサーマル。
ゆっくりですが、1030mまで駆け上がりました。
後から上がってきた複座機の方が上昇率が良く、その下に入れてもらいます。
美味しいサーマルをいただきながら、頻繁にクリア確認と他機警戒。
ふと上を見ると、太陽に隠れる557。
空で太陽を使ったかくれんぼをされると、眩しくてたまりません。
最後までコアにきれいには入れませんでしたが、
単独で1000mまで上げられたこと、
そして人生最高高度を自分の手で更新できたことは、本当に嬉しかったです。
ただし、これは決して一人の力ではなく、
一緒に飛んでいた教官機、そして地上からの無線サポートがあってこそ。
改めて感謝しかありません。
最高高度の、その先へ
これまで複座でも800m程度だった私にとって、
1000mから見る景色は、今までで一番きれいでした。
……が、快適な時間は長く続きません。
空域の関係で移動を強いられ、
「プーーーーーー。」
嫌な音が続きます。
北へ伸ばしても、先ほどの場所に戻っても、もう何もない。
東海大橋上空でも−2m/s。
気づけば高度540m。
しかも、まだフライト開始から40分程度。
wki教官からポジション情報をもらい、ウインチ上空からRWを探ります。
バリオが少しずつ改善。
……が、0.5止まり。
それでもRW上空でじわじわ粘り、750mまで回復。
ここでようやく1時間達成!
「やっとか…」と内心安堵しつつ、
まだ飛べるだけ飛ぶつもりで旋回を続けます。
再び最初に上がった経路を攻めると、
サーマルの“残骸”がわずかに残っていました。
丁寧に(本当に少しずつですが)拾い、950mまで再上昇。
まだ浮いている人がいる
雲下を試したり、狭い空域で北に伸ばしたりしましたが、
もうサーマルはなさそう。
そういえば、私の後を追って23で飛んだmtr先輩、
まだ浮いていたはず……。
他機警戒をしながら探しますが、上には見当たりません。
「いないなー」
と思いながら街を見渡すと、
白く光る何か。
いました。mtr先輩です
「大工Discus 447 高度400 バリオ0」
……というわけで、
残念ながら二人ともここまで。
最終的に1時間33分のフライト。
数字だけ見れば「まあまあ」と言われるかもしれませんが、
自分にとっては間違いなく忘れられない一本になりました。
木曽川で、
Discusで、
自分の判断で高度を稼ぎ、落とし、立て直し、そして粘る。
この一連を経験できたことは、何よりの財産です。
改めて、空で支えてくださった教官、
地上で無線を入れてくださったクルーの皆さんに感謝しかありません。
Discusで初めて空を飛んでから、まだ3週間。
それでも気づけば、Discusでのフライト時間は5時間超え。
3週間連続の合宿がすべて晴れ、
教官たちの的確なサポートがあり、
そして少しの運にも恵まれ――
またひとつ、自分の中に「経験」を積み上げることができました。
こうして振り返ると、
一つひとつのフライトが決して当たり前ではなかったと、しみじみ思います。
……なお、この二日後。
私はまだ知る由もありませんでした。
この合宿の余韻に浸る間もなく、
急に体調を崩し、インフルエンザに倒れることになるとは。
人生、上がるときもあれば、
一気に沈下に叩かれるときもあるようです。
(次は健康面もマネジメントします。)
2025年12月2日火曜日
またお前かよ、と思った皆さん。
そうです、また僕です。
飛びすぎて記憶のストックが常にパンパンなので、ブログ量も比例して増えていきます。
お許しください。
初ATソロ達成!
合宿初日、教官方とピスト調整の流れで
ymd教官より
「新見~RWチェックで行ってこい」
との声をいただき、ありがたくフライト時間をいただきました。
しかも、これまでATソロの経験ゼロ。
ASK21でのソロに挑むことに。初ソロほどの緊張はなくとも福井空港といういつもとは緊張感高まる場所でのソロに心拍数も上昇。
「いつも通り飛ぶだけだ……」
と自分に言い聞かせながら、
「フルアップ、、一輪滑走ー、エアボーン、福井ローカル、JA2471~」
緊張はMAXでしたが、なんとかエアボーン無線も入れ、安定します。
wki教官よりソロで飛ぶときは曳航不良の場外着陸の場所のイメージをと
念を押されていたため張りつめた緊張感あるエアボーン~離脱でした。
人生初 ATソロ、達成!
自分の技量に自信もなく「これで今日は21だけかな〜」
と少し悔しさ残る状態でしたが、まさかチェックが通りDiscusで行けることに。
Discusに乗り込み、「曳航方法以外は変わらん、変わらん……」と自己暗示。
(メンタルはずっとプルプルしてる)
DiscusはK21よりも姿勢が寝ていますが機体の姿勢を維持することに注力すればよいと意識してただ一輪滑走を意識して繊細な操縦でエアボーン。
■離脱高度900m!?人生で一番高いソロ景色
曳航開始。
曳航機に連れて行かれるだけなのに、
だんだんメーターが見たことない数字に。
900 m!?
ソロでこんな高さ、しかも景色が綺麗すぎてテンションが壊れてきた結果――
上空で鼻歌を歌う。
曲はB'zの「Love Phantom」(渋い)。
どうしてこれを選んだのかは自分でもよくわかりません。
900mの空から見た日本海、東尋坊の風車、福井の町並み、
さらにサッカー場で動き回る人まで全部見える。
飛んでるというより、優雅に進むヨットのような感覚。
■人生初、ソロで“サーマルを感じた”瞬間
高度500mあたりで、
お尻がフワッと持ち上げられたので思わず
「うわ、サーマルや!」
と独り言。
ソロで滞空したことがほぼない(毎回6分)自分には衝撃体験。
なんとかコアに食らいつこうと格闘し、
+100m獲得の奇跡。
まだ昼前でトップは低かったことにしておきます。
本当は1時間飛べる空だったらしいですが、
こっちは人生初の“まともな滞空”だったのでこれで十分です。
結果:44分の(自分にとっては)ロングフライト達成!
■合宿の締めは…まさかのカニ祭り
その後は無事に運航を終え宿舎へ戻ると――
教官部屋のテーブルに大量のカニが並んでいる!!
1人一杯好きなの選んでOKという大盤振る舞い。
学生全員、大興奮。
福井の海の幸の暴力。
そして教官のポケットマネーの暴力。
小川さんにカニの食べ方講習を受けながら一日目の夜はこれで終わり!
あのカニをまた食べるためにも、
この季節に福井でいっぱい訓練したいですね〜
8月、総飛行時間30時間を何とか達成!
……したのは良いのですが、そこから“Discus難民”としての長い放浪が始まりました。
「乗りたいのに、乗れない。」
9月も10月もDiscusは遠い存在。
遠距離恋愛どころか 片想いのまま2か月経過。
気づけば移行は11月へとずるずる延び、毎年恒例のOB会では勢いで
「来週Discus乗ります!」
と宣言する始末。
──そしてその1週間後。
入学初日に「なにこの機体、かっこよすぎる……!」と心を奪われたあのDiscusに、ようやく、ようやく乗れる日が来たのです。
■合宿初日:チェックライド祭り
1stチェックはwki教官。
いきなりのダミーブレイク。
「久々の同乗教育で嬉しい、ちゃんと飛ぼう〜」と思ったら、まさかの3分で終了。
次のnsn教官とのチェックもサクッと突破し、いよいよ本命のDiscusへ。
格納庫では胴体だけちょこんと出されたDiscusが鎮座。
試しに乗って慣熟してみるか思いつつパラシュートを装着して乗り込むと――
2時間爆睡。
(※シート慣熟は無事完了しました)
■Discusは“かっこいい”だけじゃなかった
大工Discusは新しい機体だからか、ギア格納の動作がやたら綿密&ちょっと硬め。
Astirとはまた違う“気遣いポイント”があり、ここは改めて気を引き締めたところです。
そして教官からもうひとつの注意。
「Discusの舵は鋭くて敏感。油断するとお前を殺しにくるぞ」
いや物騒。
でも実際そのくらいキレのある舵でした。
今までの機体とは別次元のシャープさ。
計器類も多すぎて、もうコックピットに乗り込んだ瞬間からテンション爆上がりです。
緊張しながら迎えた初フライト。
離脱して風に乗った瞬間、思わず声が出ました。
「え、静かすぎん………?」
これまで乗ってきた機体と全然違う、あまりにも滑らか。
風切り音が小さくて逆に不安になるレベル。
Discus、まじで“空を滑っている”って感じがする。
というわけで、11月の大野合宿は念願のDiscusデビューで始まりました。
このあと何が起きたのか、空でどんなドラマがあったのか……
続きがあればぜひまた書かせてください!
2025年6月19日木曜日
3回新見 自家用操縦士 技能証明実地試験合格
ライセンス獲得までの道のり
主将 新見 哲史
こんにちは。大阪工業大学の新見哲史です。2025年6月9日に前主将の森谷さんとともに自家用実地試験に合格いたしました。ここでは険しく、そしてどこかユーモアでもあった合格までの道のりを綴らせていただこうと思います。
エピローグ:Discusへの憧れ
私にとって、1年生の頃の「ライセンシー」は、まさに雲の上の存在でした。若井教官がアメリカでライセンスを取得された話、他大学の先輩方が実地試験に挑み合格していく姿を目の当たりにし、「かっこいい」という憧れを胸に抱きました。
以来2年、私の目標は「3年生でライセンスを取得し、Discusを乗りこなし、全国大会に出場すること」。この夢を追い、今日まで空を飛び続けてまいりました。
1年生でソロデビューを目標に、2年生の6月、ついに1stソロフライト。その後も、山田監督、辻埜前監督、松本教官、北教官、横田教官、若井教官のご指導のおかげで、フライト回数を積み重ねることができました。時には、他大学の教官なら厳しく落とされるようなフライトであっても、ソロに出していただきました。
単座以降から自家用受験経歴充足まで
2024年12月、東海関西合同委員会の裏で開催された大工単独合宿にて、私にとって大きな転機が訪れます。念願のASK21、そしてASK23への機種移行です。
ASK21の機体係を務めていたこともあり、乗りたいという気持ちは人一倍強かったものの久しぶりに乗ることで不安はありました。東海関西合同委員会への出発は刻々と迫ってきました。単座移行のチャンスは刻限を迎える寸前でした。
「まぁ、ええでしょう。21でひとりで行けるか?」
辻埜教官からOKが出た瞬間、嬉しさと同時に、感じた重圧を覚えています。私はただ一言、「いけます」と答えました。
単座のASK23は、驚きに満ちていました。パラシュートを背負うと、広いコックピットも急に窮屈に感じられます。そして、機体の「軽さ」に心底驚愕しました。初期上昇では山田教官、若井教官、重松さん、充さんから繰り返し注意された機首上げを危なげなくこなすことができました。
打圧が少なく、スッ、スッと動く操縦桿。「なんだ、これ」と上空で機体の挙動を楽しみました。そして着陸。ASK23での着陸は、まさに「フレアの時は視界を広く持ち、周りの芝生の景色が流れるように」という言葉を実感させられました。いつもより長いフローティングは、まるでスローモーション。地面が流れていく景色を、息をのんで見つめました。
冬の静穏と試練
年が明け2月末、自家用実地試験を意識し始めた頃、まさかの転機が訪れます。例年なら北風が強く訓練が難しい冬にもかかわらず、訓練期間中、一週間にもわたり奇跡的な「ド静穏」に恵まれたのです。最高のソロ日和が続き、私はこの一週間で、滞空こそありませんでしたが、実に10発ものソロフライトを経験しました。
「たまには天気も見方をしてくれるのか、それとも晴れ男OB岩崎さんの力が大きく働いたのか」——とにかく、発数を貯めるにはこれ以上ないタイミングでした。(ただし、一度のチェックフライトで4回ソロに出て翌日松本教官に注意されたことは、一生忘れません。)
3月末には自家用受験に必要な飛行経歴を充足。しかし、真の試練はこれからでした。
4月の体験搭乗合宿で、宮地木曽川訓練所長のチェックフライトを受けることになります。最初に与える印象が今後の学生生活全てに影響すると怯えながらも、受験予定の仲間と木曽川へ向かいました。
到着するやいなや、「今回の見極めはオーラル1人30分。フライトは1人1フライトだけ。オーラルは教官部屋で」という通達に、私たちは衝撃を受けました。これまでの見極めとは全く異なる、異例の形式。緊張感は増すばかりでした。
結果、最初の見極めはフライト面が技量不足で「脱落」。宮地さんから「自己流でやりすぎている」「パス角が全然見れていない」といった厳しいお言葉を突きつけられました。「大工生は実地試験の条件を満たしただけで、基本的なことが何もできていない」という指摘は自分の技量不足に対する悔しさだけでなく、今までご指導していただいた教官に対する申し訳なさとなり、胸にこみ上げてきました。このままライセンスを取れずDiscusには乗れないのかなと思う日も多々ありました。
宮地訓練所長との日々
一か月後、私は再び見極めのチャンスをいただきました。宮地所長の威圧感に委縮し、オーラルでは思ってもいないことを答えてしまうような状況でした。オーラルは前回よりも質が下がっていると評価されましたがオーラルは通過。前回落ちたフライトは改善したことを示さないと、と心に決め搭乗しました。何とかフライトをまとめ着陸できましたが、上空で左足は終始震えていました。フライトは落ちなかったものの、「全然できてない、我流すぎる」とのご指摘は続き、改善点の多さを痛感しました。
それからは、毎週のように木曽川へ通いました。雨で合宿が中止になっても、受験生のみが二日間宿舎にこもり、宮地所長による熱のこもった「ありがたい学科」を拝聴する週末もありました。ある学科中には、「新見はいつもぼーっとしてハイポキシアみたいやな」と笑いを誘う一幕も。その厳しさの裏にある、教官の温かい一面に、私は救われました。
実地試験、運命の6月9日
受験予定日の天気予報は二日前からサイトによってバラバラ。ただひたすら、雨が降らないことだけを祈りました。
受験当日、試験官は聞いていた時間よりも早い、7時30分に宿舎に来られ、異例の時間に試験が始まりました。出発前確認では、膨大な資料の確認はカットされ、重量重心の確認のみで終了。NOTAMに関する質問にはてこずったものの、入室から退室までわずか10分で終わってしまいました。予想外の展開に戸惑いつつ、スムーズに終わったことに内心ホッとしました。
そして実技試験。宮地さんとのフライトよりもリラックスできるとは言われていましたが、実際、私の左足はラダーの上で終始震えていました。完全失速の課目では、バフェットの振動音か、自身の足の震える音か、判別できないほどでした。しかし、練習を重ねた自家用5科目を何とか1フライトでまとめ上げ、実技試験を終えることができました。
口述試験は、過去のレポートと異なり「約1時間/人」という形式。私の番が来るまで、極度の緊張が続きました。多くの資料を抱え入室しましたが、それらは一度も触れられることなく、淡々と、そして鋭い質問が繰り返されました。試験官は私の回答に対し、間違いがあればすぐに言及し、「ぼろが出ないか」と畳みかけるような問いばかり。他の受験生が40~50分で終える中、私は入室前に詰め込んだ重心位置によるスピンの違いについての知識が功を奏し、30分で終えることができました。ここでもまた、早く終わったことが何を意味するのか、気にはなりましたが…。
こうして朝8時から始まった実地試験は、16時に終了し、受験生全員合格という結果に安堵しました。
帰りの車の中では、森谷さんがストレスから解放され爆睡する中、アドレナリンが出すぎていた私は、ずっと重松さんと試験の話をして帰ったのを覚えています。
入部して初めて空を飛んだ日、そして自家用操縦士実地試験に合格した日。奇遇にも、どちらも「6月9日」でした。
2年前、山田監督にサインしていただいた機長の欄に、今、自身の名前を書くことができることを誇りに思うとともに、航空機を運航する機長としての責任に、改めて身が引き締まる思いです。
これからも新米ライセンシーとして、主将として後輩に示しが付くよう精進してまいります。
「Discus乗ってみたいなあ。」
先日1回あたりのフライト平均時間を計算したところ、6分25秒/回でした。いかに、滞空できていないかが良くわかります。
まだ、1人で滞空したこともなければ(ソロの平均時間は5分/回)、滞空も3度ほど。慢心せずにいればいつかは空高く、長く飛ぶことができるのでしょうか。
来年度は
・脱・場周パイロット
・Discus移行
の報告ができたらうれしいなと思います。
ありがとうございました。
2024年12月5日木曜日
太田、立脇初ソロ報告!!
2024年11月16日土曜日
岩﨑初ソロのご報告
大変ご無沙汰しております。数々の雨予報に負けじと晴れに導き合宿を成立させた、とてつもない晴れ男(ガチ)修士2年の岩﨑です。
去る11月10日に初ソロフライトに出させていただきました。初ソロとその他諸々の報告をさせていただいただきます。
2023年2月ごろ、某道路に凍結防止剤をまき散らしつつ大学院入試と卒業論文の執筆をなんとか片付けて修士課程に進んだ私は航空部の合宿と研究を両立するつもりでした。しかし研究に私生活を破壊され研究室に寝泊まりする日々が始まってしまったため、航空部はしばらくお休みしていました。同期の若井は研究室の先生にヘイトを向けられない程度に研究をこなしつつ、教官になるために教証合宿に行ってとてつもない量の勉強をしていました。努力をあまり表に出さずに頑張る若井はほんとにかっこいいですね。WANIMAが大好きであることをもう少し隠すとモテるといつも思っています。
さて、そんな私も修士2年生の7月ごろには修士論文の執筆や学会発表の見通しが立ち余裕ができたので、8月大工KG大野合宿から合宿に復帰しています。久しぶりの合宿で格納庫から大野の宿舎までの道や索付けなど色々忘れているのではないかとチョット心配していましたが、以外と体が覚えていて安心しました。復帰1発目のフライトは教官になった若井教官とのフライトでした。直線滑空もまともにできないフライトでしたが、飛ぶのはやっぱり楽しいなあと思ったのを覚えています。復帰時は総発数50発程度でしたが、夏休みの合宿に参加すると発数がたまり、10月大南神木曽川合宿前時点で65発となっていました。
もうそろそろソロ出たいなあと思って臨んだ大南神、訓練日3日目で教官からいい感じやね~という評価をいただき、運用限界と位置不明時の目標物の2項目をその場で埋めてチェックフライトに出発しようとしていたところ、背風でピス交となり初ソロはお預けとなってしまいました。わんちゃん70発ピッタリで初ソロに出れそうだったので、これは日頃の行いのせいだなと思いましたね。その日以降大学前の信号はできる限り守るようにしています。
次こそはソロに出るぞ~!と覚悟を決めて挑んだ11月大工名工公立大野合宿、実は訓練日2日目である11月10日は私の24歳の誕生日でした。誕生日に初ソロ出れたらカッケエなあとぼんやり思いつつ大野に向かいました。訓練日初日、ぼちぼち固まっていたフレアが上手くいかないフライトが続いてしまいました。ずっとイメトレしていたのに~と焦りが出てきそうになるのを抑えウィンチ側に向かい、航空部同期の京大坂本にフライトのことを相談しつつウィンチ養成してもらいました。院生になると合宿に来る航空部同期がほぼ居ないのですが、ウィンチマンとして久々に来てくれた坂本と色々話せて楽しかったです。訓練が終わりドンファン池田温泉の大野満喫コンボを久しぶりにキメました。もちろん池田温泉の滑り台も滑り、周りの子供たちに24歳になる“大人”の格の違いを見せつけることができました。
しっかりリフレッシュして迎えた誕生日、フライト1発目は辻埜教官でした。初日にあれだけ反省したフレアが浮いてしまい微妙に決まらず、あとちょっとでソロやなあとなりました。機械的に操縦桿を引いてるんちゃうかとコメントいただき、頭ではわかってるんだけどな~と自分自身に立腹しつつ猛省しました。その後、30GCの整備士として大野入りしていた北教官にフレアが上手くいかないこと相談していた瞬間自分の頭の中にカットインが入り、今合宿では「ピスト横で停止しないと迷惑かけるな~」と変に気を遣っていたことに気づきました。自分の長所?である図太さを失っていましたね。“ロングしてもいいからダイブを開きつつ沈下を止めるためにアップをとる。”当たり前のことですが、改めて意識して2発目に臨みました。2発目は松村教官とのフライトで、大方ええ感じとコメントいただき次のチェックフライトに臨みました。チェックは北教官とのフライトでした。搭乗準備を終え、上空のクリア確認を終えてサムズアップをしようとしたところ、北教官にもうちょい待とか~と言われました。上空にいる30GCは明らかにクリアなのに待つということは…とダミーの可能性が頭によぎり少しにやけてしまいました。案の定ダミーブレイクで離脱高度は220mで場周に入りました。少しショート気味でしたがフレアも決まり、ソロOKが出ました。
いざ初ソロとなると緊張するものかと思いましたが、以外と緊張せずに最近聴いている藤井風のdamnを鼻歌で歌いながら搭乗準備をしました。いつも通り出発し、いつも通り離脱して右旋回しました。後席から右旋回します~の返事がなく、以外とソロってさみしいなあと思いました。普通に旋転し普通に場周無線を入れて普通に着陸しました。第4旋回がオーバーシュートになりそうなのをバンク角深くして軸線合わせしたことが反省点ですが、過ぎてみると後席に人が乗っていない以外何も変わらないフライトであまり実感が湧かなかったです。みんなからおめでとう!と言ってもらえてやっと実感が湧きうれしかったです。現役ではない修士2年生ですが、係や知識、LINEノートレースで絶対に勝てるノウハウなど、何かしらの形で頂いた発数分を現役ちゃんたちに還元して、普通に飛ぶことを確実に固めつつ、技量を上げてライセンス取得したいですね。いつか鳥人間で散々お世話になった佐々木さんと飛んでボロクソにコメントしていただくことを目標に頑張っていこうと思います。
追伸
就職先が愛知県に決定したので、OGCに入会しようと思っています。また、学生のうちにウィンチマンの認定頂くことを目指しています。ウィンチマンの皆さん、養成よろしくお願いします!!
2024年8月22日木曜日
8月 阪阪阪木曽川合宿
2024年8月15日木曜日
8月 大工KG大野合宿
2024年7月8日月曜日
7月 大工京大木曽川合宿
2024年3月27日水曜日
卒業によせて 2024
本ブログをご覧のみなさん、こんにちは。
(まだ一応)現役4回の重松です。
もはや何カ月更新してないんだって感じのこのブログですが、2024年3月22日に行われた2023年度卒業式の様子をお伝えします。
本年度は学部4回の重松、由良と大学院2回の渡邉(ドラさん)が卒業を迎えました。
由良、渡邉は就職、重松は大学院に進学します。
わが物顔で写っている4回石田はもう一年、4回生を頑張るみたいです…
(自分で書くのもなんですが)卒業おめでとう!
以下、読みたい人だけ
卒業を迎えるにあたって私、重松が4年間の航空部生活で思ったこと、感じたことをつらつらとしたためさせていただきます。
さて、思い返せば4年前の2020年の春、僕はこの大学に入学しました。
皆さんご存じの通り、当時は新型コロナウイルスが流行し始めた頃。
4月に入学した僕らの代は最初からオンライン授業で、大学に赴くのは月に1,2回程度。
無論部活も活動制限となり、僕らが本格的に合宿をすることができるようになるのは2回生の秋頃でした。この時点で総発数は20発程度。今の航空部では考えられませんね。だからこそ今の1、2年生たちの躍進(入部1年で初ソロ達成など)は凄まじく思うと共に、若干のジェラシーもどこか感じてしまいます。
3年生で引き継いだ幹部も、2年間の小休止を挟んだ反動でやることは山積み。
特に44年ぶりの部室、格納庫の引っ越しや車両関係の手続きには大変頭を悩まされました。
しかしながら若井さんをはじめとする先輩方や共に幹部同士として支えあった同期の由良、石田、元気いっぱいの後輩たちに支えられ、この年は全国大会を筆頭として競技会や大工アステア(JA2236)の12年ぶり復活、その他の面においても多くの成果を挙げられました。大変な時期でありつつも、充実した日々であったといま、思います。
共に歩んできた同期の由良、敬愛する先輩である渡邉(ドラさん)が大学を去ります。
彼らがいなくなる実感はまだまだ湧かず、信じられませんが時折心の奥底を突く寂しさは、やはりその事実を突き付けて来ます。
過ぎ去りし日々に思いを馳せつつ、去り行く二人、そして大工大航空部に輝かしい明日が待っていることを祈って。心より愛をこめてサムズアップ👍
以下、さらに自己満足ゾーン
いつからだったか とある機体に恋をした。
そう、振り返ると僕の航空部人生はとある機体、
大工アステア(JA2236)共に歩んだ日々だった。
そんな日々を少し振り返ってみようと思う。
僕が入部した時、アステアはあのジメッたい、埃くさい格納庫(旧)の奥に
トレーラーに収められてただ、静かに眠っていた。
だから最初の印象は、ディスカスや21に比べて小綺麗なトレーラーに入っている機体。
アステアは年に1,2回トレーラー外に出るか、といった程度で
僕が初めて機体を見たのは2回生になってから。
初めて会った時に、一目惚れ… なんてことは無く、特段印象は持っていなかったと思う。
それでも、時が経ち気がつくと好きになっていた。
だから何をきっかけに好きになったか、なんてことは毛頭分からない。
時は経ち僕は3回生、そして主将になってしまう。 アステアへの思いはさらに増すばかり。
どうしたかというと、主将として(勿論?)アステアの復活を目標の一つとした。
正直職権濫用だったような気もするが、この機会を逃すともう2度とこの機体は飛べない、
そんな予感が当時心の中を駆け巡っていた。
実際、最初は部内でも冗談めいた話でしかなかったと思う。当時は乗れる人もいない、
単座機はより性能の良いディスカスがあるし、お金だってかかる。
それでもコツコツと準備を続けると一歩ずつ近づくもの。あんなことやこんなこと
(挙げるとキリないかも)…色んなトラブルや障害が立ちはだかり、
心が折れそうになるも、部内の先輩や同期、後輩たち、
そして教官や整備士をはじめとする
OBの方々に多大な支援をいただき、一つ一つを乗り越えた。
耐検直前のOB会で、アステアを復活させる報告をした際、アステアを導入した世代の
OBの方々に嬉しいお声をたくさんいただいたことを覚えている。
当時は大学からの支援も今ほどなく、部員総出でアルバイトをしてアステアを
購入したとのことで、その思い入れの深さは想像に難くない。
また、2010年頃にアステアが眠りについた後、
これまで幾度か復活させようとしたものの、断念してきたとも聞いた。
僕だけでない、様々な人の思いを乗せたこの翼を必ずやそらに昇らせねばならぬ
と深く心に刻んだ。
そして2022年11月、
木曽川にて行った大工単独合宿にてついに耐検フライトを迎えることとなる。
当日、機体を組み上げ計測などを終え、ついに発航順にラインナップ。
奇しくも後ろに並ぶは同じ塗装の大工ディスカス。
もうこの時点で涙は堪えきれていなかった。索が付き、動き出す機体。
テールがスキッドだから、草の擦れる音がよく響いた。緊張はピークを迎える。
「出発、出発ー!」 いつもの出発コールと共に加速しふわりと浮き上がるアステア。
WTならではの急上昇は青い空によく映え、まさに夢に描いた情景が眼前に広がった。
ついに夢が実現したんだ。機体が降りてきたあとも、しばらくは信じられなかった。
耐検フライト後、何発か飛ぶ姿を眺めやはりこれは現実なのだと
受け入れることができるようになって来ると共に、喜びが込み上げてきた。
僕の航空部人生の中で、最も思い入れの深い日の一つであることは間違いなく、
一生忘れないな(そのあと高熱出してぶっ倒れて大阪送りにされることまで!)。
さて、また時は過ぎ2023年3月。
全国大会も終わり年度内最後の合宿。
当時の4年生の先輩たちがアステア以降を目指すと共に、僕自身は初ソロを目指していた。
チェックシートも、発数も充足した2月の合宿では満足のいくフライトができず、
初ソロはお預けとされた。今思うと当時は初ソロに向けて意気込み過ぎ、考え過ぎであった。
本合宿でも変わらずそのまま、フライトは相変わらず調和のとれていないものだった。
しかし、とある日のアステアの朝点中。ブレーキチェックをするとブレーキワイヤーを
止める金具が弾け飛んだ。ブレーキワイヤーは機体の奥まで引っ込んでしまい、
これを直すのに2時間を要した。
ずっとワイヤーを直す作業にかかっていた僕は、フライトのことなど
すっかり頭から抜け落ちている最中、教官から「飛ぶぞ!!」と言われ108に飛び乗った。
こんな急に乗って飛んでも無茶苦茶になるだけ…かと思いきや、
無駄な考えが綺麗さっぱり無くなり久しぶりに会心の出来のフライト。
そのまま2発目、ダミーブレイク。
気がつけば108の機内には前席の僕1人のみ、空の上。初ソロ達成。
煩悩を吹き飛ばし、僕を初ソロに導いたのはアステアだったのだ(恩人?恩機と呼ぶべきか?)。
また、その合宿では2人の先輩がアステア搭乗を果たした。
学生としては復活後初のこと。
耐検を通して復活させて、自分の役目は果たしたと思っていた僕に、
必ずアステアに乗るという決意が芽生えた。
またまた時は過ぎ2023年11月。
2ヶ月間合宿ができないなどのトラブルを抜け、
大野での合宿のこと。なんとかアステア搭乗経歴
(総発数150発,ソロ15発)を充足させ臨んだ合宿。
21,23でそれぞれソロに出てから教官に「アステア、乗ってこい」と声をいただき、
嬉しさのあまり飛び跳ねるように機体に駆け寄った。
初めての機体、クセがあってディスカスよりも操縦しにくいという話はかねがね
聞いていたので入念にシート慣熟。
まだ飛べないのか?とピストに急かされるほどの始末であったが、
正直この時は感情の高まりを抑えるのに必死で飛べる状態ではなかった。
脳裏には航空部人生の走馬灯が走り、目頭は熱くなっていく。
なんとか抑えきり、ラインナップ。初の白ヒューズに少し怯えながら昇っていく。
ウインチ曳航のGがかかれば、瞬時に脳はフライトモードになるのは不思議なもので、
気がつけば僕らは空にいた。
いつもより敏感なピッチに少し手間取りながらもトリムセット。
右手にあるレバーを引き、「大工アステア、ギアアップロック」と報告。
風切り音がパタリと少なくなり、スケールが±2までしかないバリオメーターの針が
0.1,2ほどマイナスから0に近づいた。込み上げてくる実感、達成感に思わず声をあげる。
しかしながら条件があるわけでもなく、楽しい時間はすぐ終わり。
バッタフライトであった。それでも僕にとっては一生忘れないフライトである。
そんなこんなで2024年の春、
今では他大の学生、練許生でもアステア搭乗達成者が数人出てきている。
乗れる人間がいれば極力持って行き、大工生は取り回しにも慣れてきた。
僕自身も最初は2時間かけた機体組みは、今や十数分あれば終わらせられる。
後輩にも組める人間が出てきて、より現実的な運用ができるようになってきた。
この大工アステアという機体がおり、飛ぶことが日常となり始めている。
後輩たちは
「アステア、次の合宿にもってきましょう!」
「いつかアステアに乗って、ディスカスにも乗ります!」と言う。
この大工アステアという機体が、彼らの、大工大航空部の日常に溶け込んでいく。
そんなことが僕にとっては一番嬉しい。
性能はそんなに良くない。取り回しだって面倒なことが多い。
何より古い機体だし、末長くとは言えないかもしれない。
それでもこの機体が、ある限りの愛を注がれ続け、空を飛び回ることを切に願っている。



















