2024年3月27日水曜日

卒業によせて 2024

本ブログをご覧のみなさん、こんにちは。

(まだ一応)現役4回の重松です。

もはや何カ月更新してないんだって感じのこのブログですが、2024年3月22日に行われた2023年度卒業式の様子をお伝えします。

本年度は学部4回の重松、由良と大学院2回の渡邉(ドラさん)が卒業を迎えました。

由良、渡邉は就職、重松は大学院に進学します。

わが物顔で写っている4回石田はもう一年、4回生を頑張るみたいです…

左から由良、石田、重松、渡邉

思い出たくさん 格納庫で

(自分で書くのもなんですが)卒業おめでとう!


以下、読みたい人だけ



卒業を迎えるにあたって私、重松が4年間の航空部生活で思ったこと、感じたことをつらつらとしたためさせていただきます。

 

さて、思い返せば4年前の2020年の春、僕はこの大学に入学しました。

皆さんご存じの通り、当時は新型コロナウイルスが流行し始めた頃。

4月に入学した僕らの代は最初からオンライン授業で、大学に赴くのは月に1,2回程度。

無論部活も活動制限となり、僕らが本格的に合宿をすることができるようになるのは2回生の秋頃でした。この時点で総発数は20発程度。今の航空部では考えられませんね。だからこそ今の12年生たちの躍進(入部1年で初ソロ達成など)は凄まじく思うと共に、若干のジェラシーもどこか感じてしまいます。

 

3年生で引き継いだ幹部も、2年間の小休止を挟んだ反動でやることは山積み。

特に44年ぶりの部室、格納庫の引っ越しや車両関係の手続きには大変頭を悩まされました。

しかしながら若井さんをはじめとする先輩方や共に幹部同士として支えあった同期の由良、石田、元気いっぱいの後輩たちに支えられ、この年は全国大会を筆頭として競技会や大工アステア(JA2236)の12年ぶり復活、その他の面においても多くの成果を挙げられました。大変な時期でありつつも、充実した日々であったといま、思います。

 


4年目も様々なことに悩まされつつも、気が付けばもう別れの春。

共に歩んできた同期の由良、敬愛する先輩である渡邉(ドラさん)が大学を去ります。

彼らがいなくなる実感はまだまだ湧かず、信じられませんが時折心の奥底を突く寂しさは、やはりその事実を突き付けて来ます。

 

過ぎ去りし日々に思いを馳せつつ、去り行く二人、そして大工大航空部に輝かしい明日が待っていることを祈って。心より愛をこめてサムズアップ👍



以下、さらに自己満足ゾーン


いつからだったか とある機体に恋をした。

そう、振り返ると僕の航空部人生はとある機体、

大工アステア(JA2236)共に歩んだ日々だった。

そんな日々を少し振り返ってみようと思う。

僕が入部した時、アステアはあのジメッたい、埃くさい格納庫(旧)の奥に

トレーラーに収められてただ、静かに眠っていた。

だから最初の印象は、ディスカスや21に比べて小綺麗なトレーラーに入っている機体。 

アステアは年に1,2回トレーラー外に出るか、といった程度で

僕が初めて機体を見たのは2回生になってから。

初めて会った時に、一目惚れ… なんてことは無く、特段印象は持っていなかったと思う。

それでも、時が経ち気がつくと好きになっていた。

だから何をきっかけに好きになったか、なんてことは毛頭分からない。



時は経ち僕は3回生、そして主将になってしまう。 アステアへの思いはさらに増すばかり。

どうしたかというと、主将として(勿論?)アステアの復活を目標の一つとした。

正直職権濫用だったような気もするが、この機会を逃すともう2度とこの機体は飛べない、

そんな予感が当時心の中を駆け巡っていた。

実際、最初は部内でも冗談めいた話でしかなかったと思う。当時は乗れる人もいない、

単座機はより性能の良いディスカスがあるし、お金だってかかる。

それでもコツコツと準備を続けると一歩ずつ近づくもの。あんなことやこんなこと

(挙げるとキリないかも)…色んなトラブルや障害が立ちはだかり、

心が折れそうになるも、部内の先輩や同期、後輩たち、

そして教官や整備士をはじめとする

OBの方々に多大な支援をいただき、一つ一つを乗り越えた。

耐検直前のOB会で、アステアを復活させる報告をした際、アステアを導入した世代の

OBの方々に嬉しいお声をたくさんいただいたことを覚えている。

当時は大学からの支援も今ほどなく、部員総出でアルバイトをしてアステアを

購入したとのことで、その思い入れの深さは想像に難くない。

また、2010年頃にアステアが眠りについた後、

これまで幾度か復活させようとしたものの、断念してきたとも聞いた。

僕だけでない、様々な人の思いを乗せたこの翼を必ずやそらに昇らせねばならぬ

と深く心に刻んだ。


そして2022年11月、

木曽川にて行った大工単独合宿にてついに耐検フライトを迎えることとなる。

当日、機体を組み上げ計測などを終え、ついに発航順にラインナップ。

奇しくも後ろに並ぶは同じ塗装の大工ディスカス。

もうこの時点で涙は堪えきれていなかった。索が付き、動き出す機体。

テールがスキッドだから、草の擦れる音がよく響いた。緊張はピークを迎える。

「出発、出発ー!」 いつもの出発コールと共に加速しふわりと浮き上がるアステア。

WTならではの急上昇は青い空によく映え、まさに夢に描いた情景が眼前に広がった。

ついに夢が実現したんだ。機体が降りてきたあとも、しばらくは信じられなかった。

耐検フライト後、何発か飛ぶ姿を眺めやはりこれは現実なのだと

受け入れることができるようになって来ると共に、喜びが込み上げてきた。

僕の航空部人生の中で、最も思い入れの深い日の一つであることは間違いなく、

一生忘れないな(そのあと高熱出してぶっ倒れて大阪送りにされることまで!)。



さて、また時は過ぎ2023年3月。

全国大会も終わり年度内最後の合宿。

当時の4年生の先輩たちがアステア以降を目指すと共に、僕自身は初ソロを目指していた。

チェックシートも、発数も充足した2月の合宿では満足のいくフライトができず、

初ソロはお預けとされた。今思うと当時は初ソロに向けて意気込み過ぎ、考え過ぎであった。

本合宿でも変わらずそのまま、フライトは相変わらず調和のとれていないものだった。

しかし、とある日のアステアの朝点中。ブレーキチェックをするとブレーキワイヤーを

止める金具が弾け飛んだ。ブレーキワイヤーは機体の奥まで引っ込んでしまい、

これを直すのに2時間を要した。

ずっとワイヤーを直す作業にかかっていた僕は、フライトのことなど

すっかり頭から抜け落ちている最中、教官から「飛ぶぞ!!」と言われ108に飛び乗った。

こんな急に乗って飛んでも無茶苦茶になるだけ…かと思いきや、

無駄な考えが綺麗さっぱり無くなり久しぶりに会心の出来のフライト。

そのまま2発目、ダミーブレイク。

気がつけば108の機内には前席の僕1人のみ、空の上。初ソロ達成。

煩悩を吹き飛ばし、僕を初ソロに導いたのはアステアだったのだ(恩人?恩機と呼ぶべきか?)。

また、その合宿では2人の先輩がアステア搭乗を果たした。

学生としては復活後初のこと。

耐検を通して復活させて、自分の役目は果たしたと思っていた僕に、

必ずアステアに乗るという決意が芽生えた。



またまた時は過ぎ2023年11月。

2ヶ月間合宿ができないなどのトラブルを抜け、

大野での合宿のこと。なんとかアステア搭乗経歴

(総発数150発,ソロ15発)を充足させ臨んだ合宿。

21,23でそれぞれソロに出てから教官に「アステア、乗ってこい」と声をいただき、

嬉しさのあまり飛び跳ねるように機体に駆け寄った。

初めての機体、クセがあってディスカスよりも操縦しにくいという話はかねがね

聞いていたので入念にシート慣熟。

まだ飛べないのか?とピストに急かされるほどの始末であったが、

正直この時は感情の高まりを抑えるのに必死で飛べる状態ではなかった。

脳裏には航空部人生の走馬灯が走り、目頭は熱くなっていく。

なんとか抑えきり、ラインナップ。初の白ヒューズに少し怯えながら昇っていく。

ウインチ曳航のGがかかれば、瞬時に脳はフライトモードになるのは不思議なもので、

気がつけば僕らは空にいた。

いつもより敏感なピッチに少し手間取りながらもトリムセット。

右手にあるレバーを引き、「大工アステア、ギアアップロック」と報告。

風切り音がパタリと少なくなり、スケールが±2までしかないバリオメーターの針が

0.1,2ほどマイナスから0に近づいた。込み上げてくる実感、達成感に思わず声をあげる。

しかしながら条件があるわけでもなく、楽しい時間はすぐ終わり。

バッタフライトであった。それでも僕にとっては一生忘れないフライトである。


そんなこんなで2024年の春、

今では他大の学生、練許生でもアステア搭乗達成者が数人出てきている。

乗れる人間がいれば極力持って行き、大工生は取り回しにも慣れてきた。

僕自身も最初は2時間かけた機体組みは、今や十数分あれば終わらせられる。

後輩にも組める人間が出てきて、より現実的な運用ができるようになってきた。

この大工アステアという機体がおり、飛ぶことが日常となり始めている。



後輩たちは

「アステア、次の合宿にもってきましょう!」

「いつかアステアに乗って、ディスカスにも乗ります!」と言う。

この大工アステアという機体が、彼らの、大工大航空部の日常に溶け込んでいく。

そんなことが僕にとっては一番嬉しい。

性能はそんなに良くない。取り回しだって面倒なことが多い。

何より古い機体だし、末長くとは言えないかもしれない。

それでもこの機体が、ある限りの愛を注がれ続け、空を飛び回ることを切に願っている。