2025年6月19日木曜日

3回新見 自家用操縦士 技能証明実地試験合格

ライセンス獲得までの道のり

 主将 新見 哲史

こんにちは。大阪工業大学の新見哲史です。202569日に前主将の森谷さんとともに自家用実地試験に合格いたしました。ここでは険しく、そしてどこかユーモアでもあった合格までの道のりを綴らせていただこうと思います。

エピローグ:Discusへの憧れ

私にとって、1年生の頃の「ライセンシー」は、まさに雲の上の存在でした。若井教官がアメリカでライセンスを取得された話、他大学の先輩方が実地試験に挑み合格していく姿を目の当たりにし、「かっこいい」という憧れを胸に抱きました。

以来2年、私の目標は「3年生でライセンスを取得し、Discusを乗りこなし、全国大会に出場すること」。この夢を追い、今日まで空を飛び続けてまいりました。

1年生でソロデビューを目標に、2年生の6月、ついに1stソロフライト。その後も、山田監督、辻埜前監督、松本教官、北教官、横田教官、若井教官のご指導のおかげで、フライト回数を積み重ねることができました。時には、他大学の教官なら厳しく落とされるようなフライトであっても、ソロに出していただきました。

単座以降から自家用受験経歴充足まで

202412月、東海関西合同委員会の裏で開催された大工単独合宿にて、私にとって大きな転機が訪れます。念願のASK21、そしてASK23への機種移行です。

ASK21の機体係を務めていたこともあり、乗りたいという気持ちは人一倍強かったものの久しぶりに乗ることで不安はありました。東海関西合同委員会への出発は刻々と迫ってきました。単座移行のチャンスは刻限を迎える寸前でした。

「まぁ、ええでしょう。21でひとりで行けるか?」

辻埜教官からOKが出た瞬間、嬉しさと同時に、感じた重圧を覚えています。私はただ一言、「いけます」と答えました。

単座のASK23は、驚きに満ちていました。パラシュートを背負うと、広いコックピットも急に窮屈に感じられます。そして、機体の「軽さ」に心底驚愕しました。初期上昇では山田教官、若井教官、重松さん、充さんから繰り返し注意された機首上げを危なげなくこなすことができました。

打圧が少なく、スッ、スッと動く操縦桿。「なんだ、これ」と上空で機体の挙動を楽しみました。そして着陸。ASK23での着陸は、まさに「フレアの時は視界を広く持ち、周りの芝生の景色が流れるように」という言葉を実感させられました。いつもより長いフローティングは、まるでスローモーション。地面が流れていく景色を、息をのんで見つめました。

冬の静穏と試練

年が明け2月末、自家用実地試験を意識し始めた頃、まさかの転機が訪れます。例年なら北風が強く訓練が難しい冬にもかかわらず、訓練期間中、一週間にもわたり奇跡的な「ド静穏」に恵まれたのです。最高のソロ日和が続き、私はこの一週間で、滞空こそありませんでしたが、実に10発ものソロフライトを経験しました。

「たまには天気も見方をしてくれるのか、それとも晴れ男OB岩崎さんの力が大きく働いたのか」——とにかく、発数を貯めるにはこれ以上ないタイミングでした。(ただし、一度のチェックフライトで4回ソロに出て翌日松本教官に注意されたことは、一生忘れません。)

3月末には自家用受験に必要な飛行経歴を充足。しかし、真の試練はこれからでした。

4月の体験搭乗合宿で、宮地木曽川訓練所長のチェックフライトを受けることになります。最初に与える印象が今後の学生生活全てに影響すると怯えながらも、受験予定の仲間と木曽川へ向かいました。

到着するやいなや、「今回の見極めはオーラル130分。フライトは11フライトだけ。オーラルは教官部屋で」という通達に、私たちは衝撃を受けました。これまでの見極めとは全く異なる、異例の形式。緊張感は増すばかりでした。

結果、最初の見極めはフライト面が技量不足で「脱落」。宮地さんから「自己流でやりすぎている」「パス角が全然見れていない」といった厳しいお言葉を突きつけられました。「大工生は実地試験の条件を満たしただけで、基本的なことが何もできていない」という指摘は自分の技量不足に対する悔しさだけでなく、今までご指導していただいた教官に対する申し訳なさとなり、胸にこみ上げてきました。このままライセンスを取れずDiscusには乗れないのかなと思う日も多々ありました。

宮地訓練所長との日々

一か月後、私は再び見極めのチャンスをいただきました。宮地所長の威圧感に委縮し、オーラルでは思ってもいないことを答えてしまうような状況でした。オーラルは前回よりも質が下がっていると評価されましたがオーラルは通過。前回落ちたフライトは改善したことを示さないと、と心に決め搭乗しました。何とかフライトをまとめ着陸できましたが、上空で左足は終始震えていました。フライトは落ちなかったものの、「全然できてない、我流すぎる」とのご指摘は続き、改善点の多さを痛感しました。

それからは、毎週のように木曽川へ通いました。雨で合宿が中止になっても、受験生のみが二日間宿舎にこもり、宮地所長による熱のこもった「ありがたい学科」を拝聴する週末もありました。ある学科中には、「新見はいつもぼーっとしてハイポキシアみたいやな」と笑いを誘う一幕も。その厳しさの裏にある、教官の温かい一面に、私は救われました。

実地試験、運命の69

受験予定日の天気予報は二日前からサイトによってバラバラ。ただひたすら、雨が降らないことだけを祈りました。

受験当日、試験官は聞いていた時間よりも早い、730分に宿舎に来られ、異例の時間に試験が始まりました。出発前確認では、膨大な資料の確認はカットされ、重量重心の確認のみで終了。NOTAMに関する質問にはてこずったものの、入室から退室までわずか10分で終わってしまいました。予想外の展開に戸惑いつつ、スムーズに終わったことに内心ホッとしました。

そして実技試験。宮地さんとのフライトよりもリラックスできるとは言われていましたが、実際、私の左足はラダーの上で終始震えていました。完全失速の課目では、バフェットの振動音か、自身の足の震える音か、判別できないほどでした。しかし、練習を重ねた自家用5科目を何とか1フライトでまとめ上げ、実技試験を終えることができました。

口述試験は、過去のレポートと異なり「約1時間/人」という形式。私の番が来るまで、極度の緊張が続きました。多くの資料を抱え入室しましたが、それらは一度も触れられることなく、淡々と、そして鋭い質問が繰り返されました。試験官は私の回答に対し、間違いがあればすぐに言及し、「ぼろが出ないか」と畳みかけるような問いばかり。他の受験生が4050分で終える中、私は入室前に詰め込んだ重心位置によるスピンの違いについての知識が功を奏し、30分で終えることができました。ここでもまた、早く終わったことが何を意味するのか、気にはなりましたが

こうして朝8時から始まった実地試験は、16時に終了し、受験生全員合格という結果に安堵しました。

帰りの車の中では、森谷さんがストレスから解放され爆睡する中、アドレナリンが出すぎていた私は、ずっと重松さんと試験の話をして帰ったのを覚えています。

入部して初めて空を飛んだ日、そして自家用操縦士実地試験に合格した日。奇遇にも、どちらも「69日」でした。

2年前、山田監督にサインしていただいた機長の欄に、今、自身の名前を書くことができることを誇りに思うとともに、航空機を運航する機長としての責任に、改めて身が引き締まる思いです。

これからも新米ライセンシーとして、主将として後輩に示しが付くよう精進してまいります。

Discus乗ってみたいなあ。」

 

先日1回あたりのフライト平均時間を計算したところ、625/回でした。いかに、滞空できていないかが良くわかります。

まだ、1人で滞空したこともなければ(ソロの平均時間は5/回)、滞空も3度ほど。慢心せずにいればいつかは空高く、長く飛ぶことができるのでしょうか。

来年度は

・脱・場周パイロット

Discus移行

の報告ができたらうれしいなと思います。

ありがとうございました。

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草の上に置かれた飛行機の前にいる男性

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