2024年12月5日木曜日
太田、立脇初ソロ報告!!
2024年11月16日土曜日
岩﨑初ソロのご報告
大変ご無沙汰しております。数々の雨予報に負けじと晴れに導き合宿を成立させた、とてつもない晴れ男(ガチ)修士2年の岩﨑です。
去る11月10日に初ソロフライトに出させていただきました。初ソロとその他諸々の報告をさせていただいただきます。
2023年2月ごろ、某道路に凍結防止剤をまき散らしつつ大学院入試と卒業論文の執筆をなんとか片付けて修士課程に進んだ私は航空部の合宿と研究を両立するつもりでした。しかし研究に私生活を破壊され研究室に寝泊まりする日々が始まってしまったため、航空部はしばらくお休みしていました。同期の若井は研究室の先生にヘイトを向けられない程度に研究をこなしつつ、教官になるために教証合宿に行ってとてつもない量の勉強をしていました。努力をあまり表に出さずに頑張る若井はほんとにかっこいいですね。WANIMAが大好きであることをもう少し隠すとモテるといつも思っています。
さて、そんな私も修士2年生の7月ごろには修士論文の執筆や学会発表の見通しが立ち余裕ができたので、8月大工KG大野合宿から合宿に復帰しています。久しぶりの合宿で格納庫から大野の宿舎までの道や索付けなど色々忘れているのではないかとチョット心配していましたが、以外と体が覚えていて安心しました。復帰1発目のフライトは教官になった若井教官とのフライトでした。直線滑空もまともにできないフライトでしたが、飛ぶのはやっぱり楽しいなあと思ったのを覚えています。復帰時は総発数50発程度でしたが、夏休みの合宿に参加すると発数がたまり、10月大南神木曽川合宿前時点で65発となっていました。
もうそろそろソロ出たいなあと思って臨んだ大南神、訓練日3日目で教官からいい感じやね~という評価をいただき、運用限界と位置不明時の目標物の2項目をその場で埋めてチェックフライトに出発しようとしていたところ、背風でピス交となり初ソロはお預けとなってしまいました。わんちゃん70発ピッタリで初ソロに出れそうだったので、これは日頃の行いのせいだなと思いましたね。その日以降大学前の信号はできる限り守るようにしています。
次こそはソロに出るぞ~!と覚悟を決めて挑んだ11月大工名工公立大野合宿、実は訓練日2日目である11月10日は私の24歳の誕生日でした。誕生日に初ソロ出れたらカッケエなあとぼんやり思いつつ大野に向かいました。訓練日初日、ぼちぼち固まっていたフレアが上手くいかないフライトが続いてしまいました。ずっとイメトレしていたのに~と焦りが出てきそうになるのを抑えウィンチ側に向かい、航空部同期の京大坂本にフライトのことを相談しつつウィンチ養成してもらいました。院生になると合宿に来る航空部同期がほぼ居ないのですが、ウィンチマンとして久々に来てくれた坂本と色々話せて楽しかったです。訓練が終わりドンファン池田温泉の大野満喫コンボを久しぶりにキメました。もちろん池田温泉の滑り台も滑り、周りの子供たちに24歳になる“大人”の格の違いを見せつけることができました。
しっかりリフレッシュして迎えた誕生日、フライト1発目は辻埜教官でした。初日にあれだけ反省したフレアが浮いてしまい微妙に決まらず、あとちょっとでソロやなあとなりました。機械的に操縦桿を引いてるんちゃうかとコメントいただき、頭ではわかってるんだけどな~と自分自身に立腹しつつ猛省しました。その後、30GCの整備士として大野入りしていた北教官にフレアが上手くいかないこと相談していた瞬間自分の頭の中にカットインが入り、今合宿では「ピスト横で停止しないと迷惑かけるな~」と変に気を遣っていたことに気づきました。自分の長所?である図太さを失っていましたね。“ロングしてもいいからダイブを開きつつ沈下を止めるためにアップをとる。”当たり前のことですが、改めて意識して2発目に臨みました。2発目は松村教官とのフライトで、大方ええ感じとコメントいただき次のチェックフライトに臨みました。チェックは北教官とのフライトでした。搭乗準備を終え、上空のクリア確認を終えてサムズアップをしようとしたところ、北教官にもうちょい待とか~と言われました。上空にいる30GCは明らかにクリアなのに待つということは…とダミーの可能性が頭によぎり少しにやけてしまいました。案の定ダミーブレイクで離脱高度は220mで場周に入りました。少しショート気味でしたがフレアも決まり、ソロOKが出ました。
いざ初ソロとなると緊張するものかと思いましたが、以外と緊張せずに最近聴いている藤井風のdamnを鼻歌で歌いながら搭乗準備をしました。いつも通り出発し、いつも通り離脱して右旋回しました。後席から右旋回します~の返事がなく、以外とソロってさみしいなあと思いました。普通に旋転し普通に場周無線を入れて普通に着陸しました。第4旋回がオーバーシュートになりそうなのをバンク角深くして軸線合わせしたことが反省点ですが、過ぎてみると後席に人が乗っていない以外何も変わらないフライトであまり実感が湧かなかったです。みんなからおめでとう!と言ってもらえてやっと実感が湧きうれしかったです。現役ではない修士2年生ですが、係や知識、LINEノートレースで絶対に勝てるノウハウなど、何かしらの形で頂いた発数分を現役ちゃんたちに還元して、普通に飛ぶことを確実に固めつつ、技量を上げてライセンス取得したいですね。いつか鳥人間で散々お世話になった佐々木さんと飛んでボロクソにコメントしていただくことを目標に頑張っていこうと思います。
追伸
就職先が愛知県に決定したので、OGCに入会しようと思っています。また、学生のうちにウィンチマンの認定頂くことを目指しています。ウィンチマンの皆さん、養成よろしくお願いします!!
2024年8月22日木曜日
8月 阪阪阪木曽川合宿
2024年8月15日木曜日
8月 大工KG大野合宿
2024年7月8日月曜日
7月 大工京大木曽川合宿
2024年3月27日水曜日
卒業によせて 2024
本ブログをご覧のみなさん、こんにちは。
(まだ一応)現役4回の重松です。
もはや何カ月更新してないんだって感じのこのブログですが、2024年3月22日に行われた2023年度卒業式の様子をお伝えします。
本年度は学部4回の重松、由良と大学院2回の渡邉(ドラさん)が卒業を迎えました。
由良、渡邉は就職、重松は大学院に進学します。
わが物顔で写っている4回石田はもう一年、4回生を頑張るみたいです…
(自分で書くのもなんですが)卒業おめでとう!
以下、読みたい人だけ
卒業を迎えるにあたって私、重松が4年間の航空部生活で思ったこと、感じたことをつらつらとしたためさせていただきます。
さて、思い返せば4年前の2020年の春、僕はこの大学に入学しました。
皆さんご存じの通り、当時は新型コロナウイルスが流行し始めた頃。
4月に入学した僕らの代は最初からオンライン授業で、大学に赴くのは月に1,2回程度。
無論部活も活動制限となり、僕らが本格的に合宿をすることができるようになるのは2回生の秋頃でした。この時点で総発数は20発程度。今の航空部では考えられませんね。だからこそ今の1、2年生たちの躍進(入部1年で初ソロ達成など)は凄まじく思うと共に、若干のジェラシーもどこか感じてしまいます。
3年生で引き継いだ幹部も、2年間の小休止を挟んだ反動でやることは山積み。
特に44年ぶりの部室、格納庫の引っ越しや車両関係の手続きには大変頭を悩まされました。
しかしながら若井さんをはじめとする先輩方や共に幹部同士として支えあった同期の由良、石田、元気いっぱいの後輩たちに支えられ、この年は全国大会を筆頭として競技会や大工アステア(JA2236)の12年ぶり復活、その他の面においても多くの成果を挙げられました。大変な時期でありつつも、充実した日々であったといま、思います。
共に歩んできた同期の由良、敬愛する先輩である渡邉(ドラさん)が大学を去ります。
彼らがいなくなる実感はまだまだ湧かず、信じられませんが時折心の奥底を突く寂しさは、やはりその事実を突き付けて来ます。
過ぎ去りし日々に思いを馳せつつ、去り行く二人、そして大工大航空部に輝かしい明日が待っていることを祈って。心より愛をこめてサムズアップ👍
以下、さらに自己満足ゾーン
いつからだったか とある機体に恋をした。
そう、振り返ると僕の航空部人生はとある機体、
大工アステア(JA2236)共に歩んだ日々だった。
そんな日々を少し振り返ってみようと思う。
僕が入部した時、アステアはあのジメッたい、埃くさい格納庫(旧)の奥に
トレーラーに収められてただ、静かに眠っていた。
だから最初の印象は、ディスカスや21に比べて小綺麗なトレーラーに入っている機体。
アステアは年に1,2回トレーラー外に出るか、といった程度で
僕が初めて機体を見たのは2回生になってから。
初めて会った時に、一目惚れ… なんてことは無く、特段印象は持っていなかったと思う。
それでも、時が経ち気がつくと好きになっていた。
だから何をきっかけに好きになったか、なんてことは毛頭分からない。
時は経ち僕は3回生、そして主将になってしまう。 アステアへの思いはさらに増すばかり。
どうしたかというと、主将として(勿論?)アステアの復活を目標の一つとした。
正直職権濫用だったような気もするが、この機会を逃すともう2度とこの機体は飛べない、
そんな予感が当時心の中を駆け巡っていた。
実際、最初は部内でも冗談めいた話でしかなかったと思う。当時は乗れる人もいない、
単座機はより性能の良いディスカスがあるし、お金だってかかる。
それでもコツコツと準備を続けると一歩ずつ近づくもの。あんなことやこんなこと
(挙げるとキリないかも)…色んなトラブルや障害が立ちはだかり、
心が折れそうになるも、部内の先輩や同期、後輩たち、
そして教官や整備士をはじめとする
OBの方々に多大な支援をいただき、一つ一つを乗り越えた。
耐検直前のOB会で、アステアを復活させる報告をした際、アステアを導入した世代の
OBの方々に嬉しいお声をたくさんいただいたことを覚えている。
当時は大学からの支援も今ほどなく、部員総出でアルバイトをしてアステアを
購入したとのことで、その思い入れの深さは想像に難くない。
また、2010年頃にアステアが眠りについた後、
これまで幾度か復活させようとしたものの、断念してきたとも聞いた。
僕だけでない、様々な人の思いを乗せたこの翼を必ずやそらに昇らせねばならぬ
と深く心に刻んだ。
そして2022年11月、
木曽川にて行った大工単独合宿にてついに耐検フライトを迎えることとなる。
当日、機体を組み上げ計測などを終え、ついに発航順にラインナップ。
奇しくも後ろに並ぶは同じ塗装の大工ディスカス。
もうこの時点で涙は堪えきれていなかった。索が付き、動き出す機体。
テールがスキッドだから、草の擦れる音がよく響いた。緊張はピークを迎える。
「出発、出発ー!」 いつもの出発コールと共に加速しふわりと浮き上がるアステア。
WTならではの急上昇は青い空によく映え、まさに夢に描いた情景が眼前に広がった。
ついに夢が実現したんだ。機体が降りてきたあとも、しばらくは信じられなかった。
耐検フライト後、何発か飛ぶ姿を眺めやはりこれは現実なのだと
受け入れることができるようになって来ると共に、喜びが込み上げてきた。
僕の航空部人生の中で、最も思い入れの深い日の一つであることは間違いなく、
一生忘れないな(そのあと高熱出してぶっ倒れて大阪送りにされることまで!)。
さて、また時は過ぎ2023年3月。
全国大会も終わり年度内最後の合宿。
当時の4年生の先輩たちがアステア以降を目指すと共に、僕自身は初ソロを目指していた。
チェックシートも、発数も充足した2月の合宿では満足のいくフライトができず、
初ソロはお預けとされた。今思うと当時は初ソロに向けて意気込み過ぎ、考え過ぎであった。
本合宿でも変わらずそのまま、フライトは相変わらず調和のとれていないものだった。
しかし、とある日のアステアの朝点中。ブレーキチェックをするとブレーキワイヤーを
止める金具が弾け飛んだ。ブレーキワイヤーは機体の奥まで引っ込んでしまい、
これを直すのに2時間を要した。
ずっとワイヤーを直す作業にかかっていた僕は、フライトのことなど
すっかり頭から抜け落ちている最中、教官から「飛ぶぞ!!」と言われ108に飛び乗った。
こんな急に乗って飛んでも無茶苦茶になるだけ…かと思いきや、
無駄な考えが綺麗さっぱり無くなり久しぶりに会心の出来のフライト。
そのまま2発目、ダミーブレイク。
気がつけば108の機内には前席の僕1人のみ、空の上。初ソロ達成。
煩悩を吹き飛ばし、僕を初ソロに導いたのはアステアだったのだ(恩人?恩機と呼ぶべきか?)。
また、その合宿では2人の先輩がアステア搭乗を果たした。
学生としては復活後初のこと。
耐検を通して復活させて、自分の役目は果たしたと思っていた僕に、
必ずアステアに乗るという決意が芽生えた。
またまた時は過ぎ2023年11月。
2ヶ月間合宿ができないなどのトラブルを抜け、
大野での合宿のこと。なんとかアステア搭乗経歴
(総発数150発,ソロ15発)を充足させ臨んだ合宿。
21,23でそれぞれソロに出てから教官に「アステア、乗ってこい」と声をいただき、
嬉しさのあまり飛び跳ねるように機体に駆け寄った。
初めての機体、クセがあってディスカスよりも操縦しにくいという話はかねがね
聞いていたので入念にシート慣熟。
まだ飛べないのか?とピストに急かされるほどの始末であったが、
正直この時は感情の高まりを抑えるのに必死で飛べる状態ではなかった。
脳裏には航空部人生の走馬灯が走り、目頭は熱くなっていく。
なんとか抑えきり、ラインナップ。初の白ヒューズに少し怯えながら昇っていく。
ウインチ曳航のGがかかれば、瞬時に脳はフライトモードになるのは不思議なもので、
気がつけば僕らは空にいた。
いつもより敏感なピッチに少し手間取りながらもトリムセット。
右手にあるレバーを引き、「大工アステア、ギアアップロック」と報告。
風切り音がパタリと少なくなり、スケールが±2までしかないバリオメーターの針が
0.1,2ほどマイナスから0に近づいた。込み上げてくる実感、達成感に思わず声をあげる。
しかしながら条件があるわけでもなく、楽しい時間はすぐ終わり。
バッタフライトであった。それでも僕にとっては一生忘れないフライトである。
そんなこんなで2024年の春、
今では他大の学生、練許生でもアステア搭乗達成者が数人出てきている。
乗れる人間がいれば極力持って行き、大工生は取り回しにも慣れてきた。
僕自身も最初は2時間かけた機体組みは、今や十数分あれば終わらせられる。
後輩にも組める人間が出てきて、より現実的な運用ができるようになってきた。
この大工アステアという機体がおり、飛ぶことが日常となり始めている。
後輩たちは
「アステア、次の合宿にもってきましょう!」
「いつかアステアに乗って、ディスカスにも乗ります!」と言う。
この大工アステアという機体が、彼らの、大工大航空部の日常に溶け込んでいく。
そんなことが僕にとっては一番嬉しい。
性能はそんなに良くない。取り回しだって面倒なことが多い。
何より古い機体だし、末長くとは言えないかもしれない。
それでもこの機体が、ある限りの愛を注がれ続け、空を飛び回ることを切に願っている。